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2017年1月号
【和泉通信】 年頭挨拶(代表取締役 伊藤嘉浩) / 梱包の知恵袋 /四国お遍路サイコロの旅
あけましておめでとうございます。
遅ればせながら、今年もよろしくお願い申し上げます。
さて、お正月を彩る習慣のひとつである年賀状ですが、いつから行われているか、ご存知ですか?
正確なところは不明なのですが、平安時代には年始回りに出向けないような遠方の方に対し、年始の書状を送る習慣はすでに存在したそうです。
「念頭之為祝儀。太刀一腰、馬一疋并鶴到来祝着之」
これは徳川家康が藤堂高虎に送った年始の書状における冒頭です。豊臣秀吉の命で朝鮮出兵に向かう高虎を労い、馬、太刀とともに年始の書状を送ったそうです。
年始に書状を送る習慣が、庶民にも広まったのは江戸時代に入り、飛脚制度が普及してからだと言われています。もっとも、当時の年始の書状はおおらかなものだったようですね。
「六月に 年始の礼は かへり花」
6月に年始の書状が届くなんて、狂い咲きの花のようだね、といった内容の歌ですが、それくらいおおらかだったようです。
書状ではなく、はがきによる年賀状が普及したのは、1873年(明治6年)に郵便はがきが発行されてから。書状と違い、文章が読めてしまう郵便はがきは、当時の利用者の感覚に合わず、当初は苦戦します。しかし安価な料金体系などが支持されて、徐々に普及していきます。長文にならず差し障りのない内容の年賀状は、郵便はがきの普及に一役買いました。明治20年頃になると年賀状は国民に正月習慣として定着していったそうですが、一方で困った問題も発生します。
皆が皆、「1月1日」の消印を求めて12月25日から28日頃に年賀状を出すため、それでなくとも忙しい年末に郵便局の業務が圧迫され、通常業務に支障が出るようになったのです。
その対策のため、ここで初めて年賀状、という郵便制度が生まれます。
1899(明治32)年、「年賀郵便の特別取組」が開始され、12月20日から30日の間に、指定郵便局に年賀状を持ち込めば、1月1日の消印を押し、元旦以降に郵便を配達するようになったのです。
こうしてみると、年賀状という習慣は、ひとの気持ちに社会制度、そしてビジネスが後押しをすることで、完成し定着した制度であることが分かります。
さて、2017年最初の和泉通信は、弊社代表取締役伊藤嘉浩の年頭所感をお届けします。
それでは、よろしくお願いします。
□■ 今号のメニュー ■□■□■
□■ 年頭挨拶 / 代表取締役 伊藤嘉浩 +-+-+-+-+-+-+-+-+-+
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□■ 【梱包の知恵袋】
<円柱編>梱包対象物からの緩衝材のサイズ設定 +-+-+-+-+-+-+-+-+-+
気泡緩衝材エアセルマットは、お客様の製品・商品や荷物を大切に守ります。
ただし、それも正しく梱包された上でのことであり、寸足らずのエアセルマットでは、お客様の大切な商品を守ることはできません。
今回は、円柱状の商品を守る梱包のために、梱包材のサイズ設定の方法をお届けします。
→ 記事はこちらからご覧ください。
□■ 四国お遍路サイコロの旅 +-+-+-+-+-+-+-+-+-+
昨年入社した営業 松本を中心に、月足、中崎、小山が、四国八十八ヶ所霊場お遍路の旅にチャレンジしています。
旅の足は、原付バイク。行き先は、サイコロ任せ。某バラエティ番組のような旅に挑んだおじさん4名の珍道中をぜひご覧ください。
→ 記事はこちらからご覧ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。