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東京を代表する10の神社を巡る「東京十社めぐり」を、株式会社和泉の岩崎、太田、吉益が体験してきました。
その様子をお届けしましょう。
※すべての画像はクリックで拡大します。
「明治元年、明治天皇が准勅祭神社として幣帛を捧げられ、東京の鎮護と万民の平安を祈願されたお社を東京十社と言います。
昭和50年、昭和天皇の御即位50年を奉祝して、元准勅祭神社である東京十社を巡拝する企画が立案されました。
十社を巡る道のりは、十町七里(約40km)。
東京の今昔に思いを馳せ、格式ある十社を訪ねる旅に出てみませんか」
東京十社めぐりの対象となるのは、以下の神社です。
※ナンバリングは正式なものではなく、記事の都合上、わかりやすくするために付けたものです。
今回、東京十社めぐりに挑むのは、岩崎、太田、吉益の3名です。
さてさて、この珍道中、どうなることやら...
東京十社めぐりでは、詣でる順番の指定はありません。
もろもろの事情(※後述します)から、一同は亀戸天神社からスタートします。
集合は錦糸町駅に9:30です。
錦糸町駅から亀戸天神社までは徒歩で移動します。
錦糸公園を歩く、一同。この時は、まだまだ元気です
当日(2023年4月22日)は、前日までの夏日が嘘のように肌寒く、薄曇りの一日でしたが、結果としてはそれが良い方向に作用しました。
亀戸天神社が近づくにつれ、だんだんと人が増えてきます。
ちょうど、亀戸天神社は藤まつりを開催中でした。境内の藤の花が、きれいに咲いています。
人の多さに戸惑いながら、一同は進んでいきます。
亀戸天神社は、菅原道真公を祀っています。
かつては、本社にあたる九州太宰府天満宮に対し、東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と呼ばれていましたが、昭和11年に現在の亀戸天神社と名前が変わりました。
結構な人数が参拝の列に並んでいます。
岩崎と太田は、鮮度保持エアセルマットの順調な製造と販売を祈願したようです。
そしてもうひとつ、今回の企画で大切なのが...
御朱印集めです。
東京十社めぐりでは、専用の御朱印帳が用意され、スタンプラリー的な楽しみも演出してくれています。
なお、すべての御朱印は、記事の最後でご紹介しますね。
さあ、東京十社めぐりのスタートです。
富岡八幡宮は、当時永代島と呼ばれ、砂州だったこの地を埋め立てて、寛永4年(1627年)に創建されました。
「深川の八幡様」と親しまれる、「江戸最大の八幡様」です。
亀戸天神社から富岡八幡宮までは、バスで移動しました。
「静かで厳かだねぇ、これだよ...」──亀戸天神社の人混みに少々辟易していた岩崎と太田は、そんなことを言いながら参道を進んでいきます。
参道には、日本地図を作成した伊能忠敬の像があります。
富岡八幡宮の近くに伊能忠敬は居を構えており、ここ富岡八幡宮に参拝してから測量の旅に出発したそうです。
また、当日は猿回しを行っていました。かわいらしかったです。
4月から名古屋本社に異動した太田ですが、まだ東京営業所長としての残務が残っています。残念ながら、太田は残務整理のため、いったんここで離脱します。
品川神社は、平安時代末期となる文治3年(1187年)に、源頼朝が、海上交通安全と祈願成就を祈るため、安房国にあった洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃咩命を迎えたのが創始とされています。
慶長5年(1600年)には、関ヶ原の戦いに出陣する徳川家康が戦勝を祈願するなど、歴史と由緒を兼ね備える神社です。
今でこそ、国道15号(第一京浜)の内陸側にありますが、江戸期には品川神社のすぐ近くまで海岸線が迫っていたのでしょう。
この特徴は、境内までの長い階段です。
この時は、まだ元気でした。この時は...
こじんまりとしていますが、趣と風格のある神社でした。
富岡八幡宮からここまでは地下鉄と京急を乗り継ぎ、大きく移動しており、すでに正午近くになっています。
芝大神宮は、平安時代の寛弘2年(1005年)創建されました。
伊勢神宮の御祭神である、天照大御神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神として祀っています。
源頼朝、徳川幕府など、ときの政権に厚く保護され、特に江戸期には、「関東のお伊勢さま」として庶民信仰を集め、賑わっていたそうです。
当日は、結婚式が行われており、一同も祝福ムードのおすそ分けにあずかります。
芝大神宮にて、岩崎は、「強運(ごううん)お守り」を購入します。
「いや、『強運』だよ。思わず買っちゃったよ」とは岩崎の弁。
これ、いま大人気らしいです。男女で色が違う上、絵馬とのセットは、一人5体までの販売数が設定されていました。
日枝神社は、文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城内における鎮護の神として川越山王社を勧請したことから、歴史に名を刻みます。やがて天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に移封された後も「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、一方で江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として人気を集めてきました。
「ここはなんと言うか、雰囲気が格段に他とは異なるよね」と話す岩崎と吉益。
赤坂を望む丘の上に鎮守する日枝神社ですが、本殿まではエスカレーターでアプローチ可能。疲れ始めている一同の足には優しいです。
ちょうど、境内では、堂々たる恰幅の白人男性と、日本人女性の結婚式が行われていました。
新郎側の家族・親戚・友人と思しき人々も参列しています。
もしかすると、コロナ禍が一段落したから、新郎側参列者も日本に来れたのかもしれません。
日枝神社から、賑わう赤坂の街、TBSの脇を抜けた、静かな住宅街の一角に、赤坂氷川神社はあります。
赤坂氷川神社の創建は、天暦5年(951年)のこと。東国を遊行していた蓮林僧正が夢のお告げをうけ、現在の赤坂4丁目付近に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたのがおこりだそうです。
江戸期には、8代将軍 徳川吉宗の庇護もあり、現在の場所に遷座しました。当時から、厄除や縁結びの鎮守神として人気だったとのこと。今も、縁結びの神さまとして、参拝されています。
すでに正午を過ぎています。
「お腹空いたなぁ」、岩崎と吉益も、少し疲れてきたようです。
神田明神は、天平2年(730年)に創建されました。
以後、死して天変地異等の災いを成した平将門の霊を鎮めたり、太田道灌、北条氏綱といった時の武将らにも崇敬されたそうです。
江戸幕府開府後は、江戸城の表鬼門を守護するために現在の場所に遷座しました。
神田明神は、神田、大手町などのビジネス街が近いことから多くの企業が初詣を行うことでも知られます。また最近では、秋葉原に近いことから、アニメキャラとのコラボも積極的に行っています。
当日も、境内にある神田明神 文化交流会交流館では、アニメのライブイベント(...?)が行われていました。
ここで残務整理のため離脱していた太田が合流します。
「まずは昼ごはんを食べよう!」、一同は空きっ腹を抱え、食事ができる場所を探します。
神田明神から次の根津神社に向かうため、湯島駅に向かう途中にあった、いかにも昭和の喫茶店という店で、一同は空きっ腹を満たします。
ナポリタン、ハヤシライス、ドリア、オムライス...、オーソドックスな優しい味わいで、一同の疲れも少し癒やされました。
根津神社は、1900年以上の歴史を持つとされる由緒ある神社で、太田道灌(今回、よく名前が登場しますね)も社殿を奉建しているそうです。
江戸期、5代将軍徳川綱吉は、世継が定まった際に現在の社殿を奉建し、千駄木の旧社地より遷座しました。
当日はつつじ祭りが行われており、とにかくすごい人混み!
お詣りする人の列は、100m以上になっています。まともに並んでいたら、日のあるうちに東京十社めぐりが終わらないので、ここでは脇から拝むことにします。
白山神社は、天暦年間(947~957)に、加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したのが創建とされています。
元和年間(1615~1624)には、2代将軍徳川秀忠により、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に遷座、その後明暦元年(1655年)、5代将軍職につく前の徳川綱吉(当時は館林候綱吉)の屋敷造営のため、現在の場所に再び遷座しました。
白山神社は、現在の東京十社の中では、もっとも地味です。
境内に育つあじさいが美しく、花の季節には多くの人が愛でに集まります。
根津神社から白山神社までは、徒歩で1kmほど移動しました。
約一名の足は...、限界を迎えつつあります。
さて、東京十社めぐり最後の神社、王子神社です。
王子神社の創建は明らかではないものの、源義家による奥州征伐の折には王子神社で慰霊祈願を行ったという故事も残っているそうです。
その後、小田原北条氏や江戸に移封された徳川家康、3代将軍 徳川家光らの保護を受け、王子神社は発展しました。
王子神社が祀る「王子大神」(伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと))は、紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神です。
紀州徳川家出身の8代将軍 徳川吉宗はこの縁を喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山(現在の飛鳥山公園)を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。飛鳥山公園は、現代でも桜の名所として人気を集めています。
王子神社は、王子駅のすぐそばで徒歩5分ほどですが、高台にあります。
足が限界に近いこの人は...
「革靴で来るんじゃなかった...」とほうほうの体で後悔しつつ、文字通りの「最後の峠」をクリアしていきます。
最後に訪れた王子神社は、日本的な美しさを湛えた神々しい神社でした。東京十社めぐりのゴールとして、最適な場所でしたね。
ちなみにこの日、吉益の歩数は、25,511歩でした。
また、なぜこの順番で東京十社めぐりをしたかというと、この後のおまけが目的でした。
王子から、「1000ベロの街」、赤羽に移動し、お清めを行うためです。
(ちなみに、「1000ベロ」とは、「千円でベロベロになるまで呑める」という意味です)
東京十社めぐりは、それぞれの神社も離れているので、時間も掛かります。
文明の利器たる公共交通機関を使っても、巡るのは楽ではありませんが、その分、達成感も抜群です。
東京の今昔を巡る東京十社めぐり、皆さまもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
お待たせしました!
今回拝受した御朱印の一覧です。
当日の移動データです。
一部、GPS信号をうまく取得できなかった関係で、位置が飛んでいる(※不適切なルートが引かれている)場所があります。
「移動経路」部分をクリックするとGoogleMapsによる経路提案が表示されます。
No. | 神社名 | 所要時間(分) | 移動経路 |
0 | 錦糸町駅(スタート) | ||
移動 | 10 | 徒歩850m | |
1 | 亀戸天神社 | ||
移動 | 39 | 亀戸天神社→(徒歩)11分 850m→(バス)亀戸一丁目~富岡一丁目→(徒歩)1分 110m→富岡八幡宮 | |
2 | 富岡八幡宮 | ||
移動 | 34 |
富岡八幡宮→(徒歩)4分 400m →(電車)門前仲町駅~(東西線)~日本橋駅(浅草線乗り換え)~品川駅(京急本線乗り換え)~新馬場駅→ (徒歩)3分 250m)→品川神社 |
|
3 | 品川神社 | ||
移動 | 20 |
芝大神宮→(徒歩)4分 250m →(電車)新馬場駅~(京急本線)~品川駅~(浅草線)~大門駅→ (徒歩)3分 200m)→芝大神宮 |
|
4 | 芝大神宮 | ||
移動 | 21 |
芝大神宮→(徒歩)4分 200m) →(電車)大門駅~(浅草線)~新橋駅~(銀座線)~溜池山王駅→ (徒歩)5分 400m→日枝神社 |
|
5 | 日枝神社 | ||
移動 | 13 | (徒歩)13分 950m | |
6 | 赤坂氷川神社 | ||
移動 | 29 |
赤坂氷川神社→(徒歩)9分 650m) →(電車)赤坂駅~(千代田線)~湯島駅→ (徒歩)7分 600m→神田明神 |
|
7 | 神田明神 | ||
移動 | 15 |
神田明神→(徒歩)7分 600m) →(電車)湯島駅~(千代田線)~根津駅→ (徒歩)6分 600m)→根津神社 |
|
8 | 根津神社 | ||
移動 | 14 | (徒歩)14分 1km | |
9 | 白山神社 | ||
移動 | 19 |
白山神社(徒歩)10分 600m →(電車)本駒込駅~(南北線)~王子駅→ (徒歩)3分 220m)→王子神社 |
|
10 | 王子神社 | ||
合計(分) | 214 |