容器の歴史を学ぶ──容器文化ミュージアム見学

容器文化ミュージアム(東京都品川区)にて / 東京営業所 吉益大輔
容器文化ミュージアム(東京都品川区)にて / 東京営業所 吉益大輔

 今や、「容器」は私どもの生活に空気のように寄り添っている存在になりました。

 何か製品──それが食品であれ、衣料品であれ、電化製品であれ──を購入するとき、製品を裸のままで買うことはほとんどありません。あえて言えば、野菜くらいでしょうか...?

 私たちの生活に、常に共にある「容器」は、いつ、どのように生まれたでしょうか?
 当社営業の吉益大輔(東京営業所)が、容器文化ミュージアム(東京都品川区)を訪問し、容器の歴史を学びました。

※画像はすべてクリックで拡大します。

最初の容器は、木の葉や貝

 人類史における、最初の容器は、おそらく木の葉や貝がらであったと考えられます。今も猿などが木の葉をコップ状に丸め、水などを飲む様子が観察されることがありますが、たぶん、こんな使い方が最初だったのでしょうね。

 次に登場したのが、石や植物の蔦(つた)を素材に、加工したものものと考えられています。

 1975年10月2日、北陸中日新聞は、鳥浜貝塚(福井県三方上中郡若狭町)において、約5500年前のものと推測される縄文時代の縄などが多数出土したことを報じました。その報道内容を抜粋しましょう。

「この縄は、いずれも同貝塚の地下約2m、北白川層1.2式の土器層から約50点出ている。原料は水稲のない時代だけに、木の皮かつるのようなものと見られ、まだはっきりしていないが縄をなう技術、結び方などは現在とまったく同じと推定される。
 編み物は、編み目の大きさが5mm×3mmと比較的粗く運搬用に使われたらしいもの5種、編み目が細かく敷物状のものが1種出土した。両方とも草の茎をそのまま使い、たわらを編む技法で編み方は精巧、編みカゴは、ザルのように草の茎を2本ずつ使って放射状に編んだ形跡があり、円形の容器らしい。いずれも用途によって編み方や材質を変えているのが興味深い」

 古代の、つまり文明黎明期の「容器」は、同時に「包装」であり、かつ「緩衝材」あるいは「輸送用の道具」(※現代流に言えば、マテハン機器?)としての機能を合わせ持っていたわけです。

倉庫、あるいは経済の発展とともに進化する容器

容器文化ミュージアムでは、容器の歴史について、分かりやすく学ぶことができます。
容器文化ミュージアムでは、容器の歴史について、分かりやすく学ぶことができます。

 容器文化ミュージアムで説明されている、古代史における容器の年表を抜粋しましょう。

 

 容器が発達・普及した背景には、農業の発展と、経済の確立があります。

 自給自足の生活をしている限りは、食事を行うための皿や鉢として容器は必要ですが、輸送し、他者と交換するための容器は不要です。容器は、当初「自分自身が食事をするための道具」として生まれ、やがて採取した食料を保存するために用いられるようになりました。保存した食料は物々交換されるようになり、原始的な経済が生まれたのです。

 食料を保存する必要が発生したのは、農業が発達したためです。
 古代エジプト文明はナイル川、メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川とともにありました。これらの川は季節ごとに氾濫し、大地に肥沃な沖積土をもたらします。この沖積土の大地で農業を行う氾濫農耕によって得られた穀物は、穀物倉庫に保管されたのです。

 メソポタミア文明を築いたシュメール人は、貨幣を発明したことでも知られています。紀元前2000年頃、メソポタミア文明では、倉庫に小麦を預ける際の預り証として、袋に詰めた銀を利用したという記録が残っています。「小麦を預ける」「小麦を保管する」「倉庫から小麦を引き出す」、おそらくこういったやり取りに際しては、土器のような容器が利用されたものと考えられます。

弥生式土器や藁、瓶、樽(いずれも容器文化ミュージアムにて)
弥生式土器や藁、瓶、樽(いずれも容器文化ミュージアムにて)

缶詰の誕生

100年以上前の自動製缶機。1988年まで稼働していたものだそうです。
100年以上前の自動製缶機。1988年まで稼働していたものだそうです。

 容器文化ミュージアムにはいくつも興味深く、そしてためになる展示がありますが、本稿では缶詰の歴史に関する展示について、ご紹介しましょう。

 1804年、ニコラ・アベール(仏)が、密封・煮沸して、ガラス瓶に食品を詰め、長期保存する方法を発明しました。この発明のきっかけになったのが、かのフランス皇帝 ナポレオン・ボナパルトです。当時、フランス軍は遠征時の食料補給問題に課題を抱えていました。そこで、戦地でも美味しい食料が食べられて、かつ長期保存が可能な方法を開発すべく、ナポレオンは懸賞をかけました。ニコラ・アベールは、この懸賞に応募するために、瓶詰めを発明したのです。

 とは言え、瓶詰めは重たく、また破損しやすいという欠点がありました。
 この欠点を補うべく発明されたのが、1810年、ピーター・デュランド(英)が考案した缶詰でした。とは言え、この初期の缶詰にも問題がありました。

  • 殺菌が充分でないため、たびたび中身が発酵し、缶が破裂する事故が発生した。
  • 当時の缶詰は、職人がひとつずつはんだ付けを行い、密封していた。そのはんだに含まれる鉛のため、缶詰を食べた人が鉛中毒で死亡する事故が発生した。
  • 缶詰を開封するために、ノミとハンマーが必要だった。

 1858年に缶切りが発明され、開封が以前よりも楽になりました。1861年には、アメリカで南北戦争が勃発。缶詰は南北戦争で軍用食料として使われたことをきっかけに、本格的に普及したと言われています。

缶詰の展示を熱心に眺める吉益
缶詰の展示を熱心に眺める吉益

思い出とともに学びが得られる容器文化ミュージアム

 容器文化ミュージアムには、その他にも現在に至る容器の歴史が展示されています。
 懐かしい展示も、いくつもあります。
 例えば...

大容量のビールや、炭酸飲料のペットボトル
大容量のビールや、炭酸飲料のペットボトル

 昭和40年代生まれの筆者が懐かしく感じたのは、これらの展示です。(吉益は知りませんでした 汗)
 たしかに、初期の大容量ペットボトル炭酸飲料って、ペットボトルに対し、底にプラスチック製カバーが付いてました(画像右側)。これは、当時のペットボトル成形技術がまだ未熟で、底を平らに一体成型することができなかったためです。

 また、ペットボトル製の大容量ビールも懐かしいです。とりわけ懐かしいのは、ペンギン型のボトルです。
 当時、松田聖子さんが歌うCMソング『SWEET MEMORIES』も大ヒットしましたっけ...。
 探したら、Youtubeに当時のCMがありました。

 このCM、公開当初は、松田聖子さんが歌っていることがふせられていました。愛くるしくも、どこか哀愁漂うペンギンの魅力と、歌の魅力が相まって、とても印象に残るCMです。

 容器文化ミュージアムには、他にも現代の容器におけるさまざまな工夫、環境への取り組みなどについても紹介されています。

 容器文化ミュージアムは、大崎駅・五反田駅からいずれも徒歩10分ほど。東洋製罐グループの入居するオフィスビルの1階にあります。
 入場は無料。

 近くにお立ち寄りの際には、訪問してみることをぜひオススメします。

 知的好奇心を満たすことができる、楽しい施設でした。

フォトギャラリー

参考および出典

〒141-8627
東京都品川区東五反田2-18-1 大崎フォレストビルディング

開館時間 平日9:00~17:00
入場料 無料

  • 「包装の歴史 復刻・増補版」
    日本包装技術協会 編. ピー・ディークリエイティブセンター, 2008.1


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